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天候を気にせず天に委ねて (高千穂、オホーツク海、鳥取砂丘)
天孫降臨伝説が残る宮崎・高千穂。
あれは冬。
12月の高千穂峡は寒い上に、峡谷の水しぶきを霧のようにしっとり浴びて凍えそうだった、と言いたいところだが、これが禊(みそぎ)をしているようで心身ともに洗われて、非常に心地よかった。

実際、都会の塵や物質主義的価値観を洗い流す必要があったのだと思う。
その後で訪れた高千穂神社や天岩戸神社、天安河原は生半可な観光気分で足を踏み入れるべき場所ではなかったから。

高千穂神社には、天と地の懐に抱かれている心地よさと、寝入ってしまいそうな温もりがあった。
天照大神が隠れたとされる天岩屋戸を御神体としてお祀りしている天岩戸神社は1日中、太陽に照らされていた。
神社境内は木漏れ日が光り輝き、天安河原も虹色の光が走り、行く先々に光、光、光が満ちあふれ、なんとはなしに「特別」な気配が漂っていたように思う。
あまり言葉では表現したくない。
あの空気は実際、その場に立ってみないとわからない。
行かないうちから軽んじて笑ったりしないで、自ら感じてほしいものです。



晩秋の頃、網走から乗った釧網線を途中下車して、オホーツク海の波打ち際まで歩いてみた。少し寒い。
誰もいない。空模様は更に怪しくなってきた。

オホーツクの海は重たそうに動いている。ゼリー状にプルプルと揺れながら厚みを持った波を移動させていた。
季節と天気のせいだろうか。人っ子一人、いなかった。
大地は広く、釧網線の線路は細長い生き物と化して知床半島へと延びている。
360度ぐるりと見渡してもやはり一人だった。
このままオホーツクの海に飲み込まれても誰も気がつかないだろう。
怖いというより、愉快だったのはなぜだろう。


そういえば鳥取砂丘でも砂丘のてっぺんで一人になった。

夕陽があまりにもキレイで、隣の砂山のカメラマンたちと夕暮れのひと時を共有したが(『鳥取砂丘の夕焼けとカメラマン』)、その後は一人きり。
日本海を足元に眺めつつ、日が沈み、辺りが薄墨色に染まり、やがて夜になろうとする時間を独り占めした。
あの時も、あれほど夕焼けが美しくなかったら、もう少し早く砂丘から引き上げていただろう。


旅は、なるべくゆるやかな計画がいい。
天候を気にせず旅をする。
それは、天候に合わせて行動できるということでもあり、柔軟さと自由を持って動けることでもあるけれど
天に委ねてみるのもいい。




posted by: masumi | | 14:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
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