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鳥取砂丘の夕焼けとカメラマン
鳥取砂丘は、ほんとうに砂丘だった。
出かける前は、あまり期待していなかったのだけど。

JR鳥取駅からバスで20分。そろそろ着く頃かなと車窓に目を向けると
突然、そう、まさに突然、視界が開けた。
砂、砂、砂。はるか彼方まで砂。
ここが日本?
東西16km、南北2kmの砂丘。
丘の上の方で固まっている人々が小さく見える。
私も、早速歩き始めた。
風紋……風が作り出した砂のさざ波が気まぐれに模様を変える。
その模様の中にボコボコと足を踏み入れながら
歩けども…歩けども…
なかなか前に進まなかった。
いつまでたっても砂の上。
高い空に向かって盛り上がっている砂丘のてっぺんがやけに遠い。
あの上で、みんな何を見ているのだろうか。日本海だろうな、きっと。
なんとかなんとか丘を登り詰めた。

海。
荒々しく叫ぶような日本海。
波の音が、何もかも飲み込む…

ふと周りを見ると、いつの間にか人がいなくなっていた。
もう夕方だ。
夕陽がこの世のものとも思えないほど美しい。
叫んでいるのは、波しぶきだけではなかった。
砂の音。風紋の音。風の声…

秋の薄い日射しが少しずつ動く。やはり眩しい。
眩しさに目を細めながら、隣の山、というより丘を見ると
カメラマンたちがたくさん三脚を構えていた。
その中の1台が、少しだけ離れてカメラをこちらに向けている。
こちらって、私?
私の周りにはもう誰もいない。
自意識過剰に意識して見ていると、やはりここを狙っている?
見るともなく見ていたら、あることに気がついた。

あちらの方がずっと絵になる。
夕陽を背景に、砂丘の上に三脚とカメラ。
私の方向から見ると、まるで月面着陸した小型ロボットみたい。
残照を浴びて、影絵のような三脚。
そこだけ不思議な世界が広がっていた。
で、私からも写真撮影。

ここで載せる?
鳥取砂丘は数年前に行ったので、写真データを探さなければ・・・
それともmiwamoさんがイラストを描いてくれるかな?

posted by: masumi | | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
「旅」(番外編)・・・思いの漂流
前回、この中で「旅」の記事を書いたのは1月だった。
今はもう10月。
時間は、どこでどう経過したのだろう。
書きたいことはたくさんある。
「門司港で常連さんに」や「鳥取砂丘の夕焼けとカメラマン」「尾道の坂、大人の迷い子たち」「出雲大社の神秘」「空の旅・嵐の中の沈黙」「和歌山城壁、異なる時代を語る石」「霧雨にけぶる田沢湖・湖面が息づいて」「中禅寺湖・千手ヶ浜〜西ノ湖、森の守り神」などなど

でも、書こうとする前に、どうしても引っ掛かるものがあって、そちらばかりに気を取られていた。
引っ掛かるもの。

私は、どうやら「旅」をしているらしい。

物理的な「旅」ではなく、もっと遠く大きく広く深い旅。
思いが漂流しているのだ。
ある場所を求めて、そこに辿り着きそうになると離れてしまう。
「わかった」と理解したとたん、すぐに落ちる。
落ちるとは、戻るということ。
いや、戻っている場所からわざわざまた離れているのかもしれない。

どちらが本物の世界かわからない。
自分がどちらにいるのかわからない。

そういえば、このイラストを描いてくれるmiwamoさんが以前言っていた。
私が、動く城みたいだ、と。ハウルではないが、お城に招待されても自分がどこにいるか見当もつかないし、主である私の姿も見えない。まるで迷路のようなお城が常に動いている、と。
彼女の表現は豊かでおもしろい。言いたいことは、わかる。
私自身、お城がどこに向かっているのかはわからなくなっているので、彼女の言いたいことがなお、わかる。
このお城、誰にどこまで見せていいのか。
誰を、中に入れるべきなのか。
迷いがあるのはなぜだろう。



それは、おそらく「彼」が私を見つけたことから始まったのだ。
見つけて、見続けて、目を合わすようになり、心を重ね、一つになった。
その彼が、今、とても苦しんでいる。
あの輝くような笑顔が消えたことが悲しい。
彼の笑顔は光なのに。

私は、彼の光へと向かう。
迷い、立ち止まり、彷徨いながら。

「旅」。
彼の光を探す旅。

posted by: masumi | | 16:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
高知空港上空で待機
 その四万十川を訪ねる前の日。羽田発の高知行きの便は、目的地の高知空港に降り立つことができなかった。

 高知空港付近が濃霧のため、何機も上空で待機しているという。
 機長の度々のアナウンスとともに待つこと30分以上。

高知空港上空 待つ。
 つまり、飛んでいるのではなく空に浮いている。
 何機も。
 いったいどんな絵になっているのか…。
 想像ができない。

 やがて、とうとう機長は言った。
 「伊丹空港に着陸します」

 すぐ下が高知の空港なのに。ここまで来て大阪まで戻るなんて。
 でも、しかたがない。トラブルではなくアクシデントだ。こういう時は身を委ねるしかない。ここで降ろしてくださいと言うわけにはいかないのだから(ちょっと降りて雲の上を散策したかったけど)。

 伊丹空港に着陸後の航空会社の手際のよさには感心した。
 JR新大阪駅までのバス、新大阪から岡崎までの新幹線と岡崎から高知まで。乗り遅れた場合の可能性も含めて、その全てのタイムテーブルとチケットを渡された。
 まるで、マネージャーか秘書がいるみたい。自分では、ほとんど考える必要もなく、いつのまにか岡崎から高知経由で中村まで行ける列車に乗っていた。

 ホテルに着いたのは、午後6時過ぎ。高知空港の上空で待機していたのは正午ごろだったと思うが。

 夜、お風呂で一緒になった女性が言うには、あの時待機していた何機かは、その後、霧が晴れて高知空港に降り立ったという。
 
 こちらは、思わぬ遠回りの「旅」をしてしまった。
 濃霧の瀬戸内海をゴトゴトと鉄道で渡って来たのだ。所々で小島がぼ〜っと霞んで見える様は、この世の景色とは思えないほど幻想的だった。
 雲の上もいいが、地上でもこんな(天国みたいな)景観が見られるのだ。晴天で全てを見渡せる景色だけが“美”ではないなあ、との思いに浸ったりもした。

 そういえば、新大阪からの新幹線で隣り合わせた中年の紳士(本当に紳士!)には、事のいきさつを話してしまった。
 だいたい一人旅の場合、やはり一人旅の男性にこちらから話しかけるなんて、場所を訪ねる時以外はあり得ない。
 ほんのちょっとしたタイミングで話すきっかけを得たのだが、タイミングもきっかけもアクシデントも、案外、天からの贈り物?

 そんなことを考えていると不思議と笑みがこぼれてくる。
posted by: masumi | | 11:19 | comments(1) | trackbacks(2) |
四万十川の佐田沈下橋
 「東尋坊の崖っぷち」で思い出したことがある。
 崖ではないけれど、“ギリギリのふち”に立たされたことがあった。

 高知の四万十川。
 沈下橋では最も河口に近い佐田沈下橋。

 沈下橋とは、増水時に水面から沈むように設計された欄干のない橋のことで、本流には22橋ある。欄干がないので寄り掛かるところがなく、なんとなく心許ない。橋の両脇がすとんと四万十川に向かって落ちている感覚だ。

 それでも幅はゆったりとして広いので、特に危ないという感じはなかった。と思ったのは進行方向から車が来るまで。佐田沈下橋は車両の通行が可能だったのだ。確かに車一台ならなんとか通ることができる。

 歩いている人はどうするのか…。端に寄って車が通り過ぎるのを待つ。
masumiその2 これが際どかった。

 欄干のない橋の隅に寄ると、身体の片側は眼下に雄大な四万十川が流れ、反対側はゆっくり進む車。小型車ならまだよかったのだが…。欄干があればしがみつけばいいのだが…。平均台の上に立たされたような不安定な状態になりながら、どちらにも寄りたくないのでバランスを取りながら緊張していた。

 これで強風でも吹いていたら、4月末とはいえ四万十川で泳ぐはめになっていた。
posted by: masumi | | 15:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
東尋坊で崖っぷち
 福井県の東尋坊。
 
 日本海に面した断崖絶壁は東洋一美しいという。荒波に挑むように、巨大な安山岩がその柱状節理を誇る。
 水平線に向かって立つと、雄島、越前岬、若狭湾も能登半島も姿を見せていた。
 冬の厳しさは想像できないほど穏やかな秋晴れの日。
 観光客は恐る恐る崖っぷちまで行って、下をのぞき込む。のぞき込んでは小さな悲鳴を上げる。引き込まれそうなのだ。
 
 ここは、飛び降りる人が多いことでも知られている。
 
 780年前、東尋坊という暴僧が恋敵に突き落とされてからその名がついたとか。名前の由来からしても危ない崖である。
 
 それにしても、この素晴らしい自然の景観。私も写真を撮りたくてずんずん前に進んだ。カメラのファインダーからのぞくと、崖下の、波が当たっては砕ける勢いのある映像が、もう少しというところで入らない。
 そのまま2歩ほど更に進んだ。お、いい感じ…と数回シャッターを切り、ファインダーから目を上げた。
 
 なんと、崖っぷちギリギリに立っていた。
 くらっと視界が揺れて慌てて座り込んだ。
 
 ファインダーから見えるものと、現実の視界とのギヤップ。

東尋坊 怖かった。
 このまま立ったら、落ちそうだ。

 後ろにも下がれない。動きようがなかった。
 しばらくその状態で仕方なく海を見ていた。風に吹かれてぼんやりしていた。見張り小屋があったけど、いざという時、間に合うのかなぁ…などと思いながら。
 
 やがて、2〜3歩後ろ向きに這うようにしてなんとか崖の中央まで戻った。
 ここなら安心。ようやく立ち上がった。
 
 
 あれは、ちょっとヤバかった。
 崖下の波が当たっては砕ける勢いのある写真を眺めると、未だにぞくぞくっとする。
posted by: masumi | | 15:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
飯坂温泉の男衆
 東北屈指の9つの共同浴場を持つ福島の飯坂温泉郷。中でも共同浴場としては日本最古(明治22年、但し平成5年改築再現)の鯖湖湯は日本武尊が東征の折、傷を癒したのが発祥とされ、元禄2年には芭蕉も入ったといわれている。
 
 湯上がりに旅館の部屋で寛いでいたところ、外から声がかかって布団を敷きに入ってきたのは見るからに男前の渋い人だった。
浴衣で正座こちらは女一人。その“男衆”が中に入る時、部屋のドアを開けていた。廊下から自分の姿は見えても、客である私の姿は見えない開け方だった。
 話にそつがなく、世間話にきちんと相槌を打ってくれるが、動作に無駄がなく隙もない。まるで仕事人そのものの動きだった。早過ぎず遅すぎず仕事を終えた。話の切り上げ方もうまい。短く穏やかにあいさつをして襖をさっと閉めて余韻というものを全く残さず静かに出て行った。

 お見事。あまりにも鮮やかで美しかった。まるで忍者のように。
 

飯坂温泉の忍者 後から知ったことだが、飯坂の八幡神社で毎年10月に開催される男祭は日本三大けんか祭の一つで、三百年の歴史があるという。

 なるほど。あの男衆には祭の匂いがした。

 あの仕事っぷりは旅館の教育などというものではない。
 彼の人生に染みついた仕事に対する姿勢と、おそらく祭にかける情熱。男前とは彼のような人を言うのだとつくづく思った。
posted by: masumi | | 00:07 | comments(0) | trackbacks(1) |
津和野の少女
 島根の津和野にはゆったりとした時間が流れていた。あれはたしか夏だった。
 
 森鴎外の旧宅まで歩いて訪ねた帰り、川沿いを辿ってみた。もしかしたら少年鴎外が藩校の養老館まで毎日通った道はこっちかもしれないなどと思いながら。
 
 まさか白鷺だろうか。都会では見ることのない鳥が一羽優雅に羽を休めていた。JR新山口駅発のSLだろう。幾重にも連なった山々に汽笛をこだまさせながら、津和野川をなぞるように追いかけて来る。また汽笛を鳴らす。あいさつされているようで立ち止まって軽く手を振った。
 
 武家屋敷が並ぶ殿町通りに戻るには、この辺で橋を渡り、小学校の脇を通り抜けてあの千本稲荷の太鼓谷稲荷神社の下を歩いた方がよさそうだ。昼間の明るい日差しの中とはいえ、そこだけ鬱蒼と暗かった。
 
 小学校のグランドから野球少年たちの掛け声がする。
 その声を背に木々の陰となった暗い道に差し掛かった時、反対側からゆっくりと自転車が走って来た。小学校4年生ぐらいの少女だった。
津和野の少女 その少女は私を見ると向こうから声をかけてくれた。「こんにちは」。にこやかに楽しそうに。
 
 見ず知らずの人には近寄るなと子供たちに警告される昨今。
 少女の屈託のなさと明るい声に救われる思いがした。暗い場所に陽が射すようだった。      
 少女にとっては自分の町。見知らぬ人も自分の町を訪ねて来たお客さんに見えるのだろう。「こんにちは」の笑顔には「ようこそ」も含まれていたかもしれない。
 
 私も「こんにちは」と返した。「ありがとう」の気持ちを込めて。
posted by: masumi | | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
津軽の男たち
 9月の午後、青森の浅虫温泉で海側を散策していた。津軽半島を左手に夏泊半島を右手に抱かれるような格好の青森湾だ。
 
 湾内に浮かぶ湯島、裸島、鴎島を横目にぽつりぽつりと釣りをする人たちがいる。邪魔をしないように離れて歩いていたのだが、帰り支度をしている人がいたので近寄って声をかけてみた。「何が釣れるのですか」。返ってきた答は「鯖」と一言。会話はそれで終わった。お礼を言ってそっと離れてきたが、何だか無性に可笑しくなった。
 
 さっきもそうだった。海の様子を見ていた人に写真撮影を頼んだところ、黙ってカメラを受け取って、いつのまにか撮ってくれて、また黙ってカメラを返してくれた。こちらの言葉に頷きはしてくれたが、彼の声はほとんど聞けずじまい。
 
 その夜、旅館の食事に出た刺身は新鮮でとても美味だった。これもこの土地の無口な男たちが捕ったのだろうか。宿の人が、これから隣の旅館で津軽三味線の生演奏が始まると教えてくれた。
 
 男たちの津軽三味線。
 
 演奏はぜひ聞きたい。でも聞いてしまうと、無口な男たちの心を覗いてしまいそうでちょっと怖じけづいてしまった。
posted by: masumi | | 00:05 | comments(0) | trackbacks(1) |
桜島の七変化
 先にも書いた鹿児島のホテル。通されたツインの部屋は素晴らしかった。部屋の広さや調度品、設備のことではない。もちろんそれも良かったのだが景色が最高だったのだ。
 
 窓一面に桜島。全景が一望できた。
 
桜島 部屋に入った時は、ただただ桜島の姿に圧倒された。午後のまだ早い時間。出かける予定で支度をしていたのだが、ちょっと目を離して桜島に目をやるともう違う姿をしている。
 
 2月の鹿児島は春の兆し。時間が経つにつれ桜島と春めいた光、雲との関わり方がどんどん変わってきた。これが作家の向田邦子さんが書いていた桜島の「七つの色」なのか。まさに七変化、いや七十変化かもしれない。
 
 結局その日はどこへも行かなかった。行けなかったのだ。目が離せなかった。途中でコーヒーを入れたりはしたものの、ベッドのふちに腰掛けたまま日がとっぷりと暮れて桜島が墨色一色になるまで見続けてしまったのである。
posted by: masumi | | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
岩国で支配人の配慮
 山口岩国で泊まった旅館。高級旅館でもこじんまりと小綺麗なというわけでもない。ただ、小さいけれど地元ならではの地域に密着した旅館という雰囲気はあった。
 
 融通が聞く。突然こちらから申し出た夕食にも快諾してくれて、しかも少なめにとの要望には旅館側から値引きの交渉を申し出てくれた。

masumi基本 ちょっと驚いたのは、朝食時の若い支配人の対応。
 朝食は夕食とは違って個室ではなく広い部屋に通される。
 女性一人の私がその部屋に入る際、支配人が先に立って案内してくれたのだが、戸を開けて入りながら、彼は中で食事をしている人たちに「おはようございます」と、遠慮しながらも明るくはっきりとあいさつをし続けていた。

 おそらく支配人はずっと入口に待機していたのだと思う。すでに食事中の客にはもうあいさつはすませているはず。
 私を案内しながら再びさわやかに声をかける彼に、客たちも自然に応じていた。それはそのまま、支配人だけでなく私へのあいさつとなっていた。そのおかげで私はその部屋の雰囲気にすっと溶け込むことができたのである。
 
 周りの温もりをこんなに心地よく感じながら味わった朝食は、他にはない。
posted by: masumi | | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
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